倉敷染をつくる人たち

堀江染工株式会社

全長30m以上の連続染色機を任されて操作しているのは、20代の女性。大学を卒業後、ここで働くために倉敷市児島に移住してきたそうです。若い女性がメインとなって活躍している、これまでの染色工場のイメージを覆すような工場が倉敷市児島にあります。堀江染工株式会社の篠原社長にお話を伺いました。

堀江染工株式会
代表取締役社長
篠原 功一
岡山県倉敷市出身

カジュアル向けの綿生地の染色に特化して67年

カジュアル衣料の中肉・厚地の綿織物の反染めに特化して67年目を迎えました。一口に衣料品向けの染色加工と言っても、糸の段階から染める「糸染め」、生地を染める「反染め」、完成した製品を染める「製品染め」と3種類あり、それぞれ設備や手法は異なりますが、堀江染工は反染めの専門工場です。

堀江染工という社名から社長の苗字が「堀江」だと勘違いされることも多いのですが、堀江は最初に創業した場所の地名(児島の堀江地区)です。そこから現在の場所に移転しました。創業した当時からずっと戦後復興、高度経済成長、バブル期と経済成長時代が長らく続き、大量生産向けの工場として操業してきました。大手商社からの大量受注をこなしたこともありましたし、ユニクロから受注したこともありました。しかし、2000年以降、アパレル不況となり受注量が減少し始めました。衣料品の国内生産自体が減少しましたし、中・高価格帯ブランドは小ロット生産になってしまいました。

10年くらい前はまだ1色あたり1000~1500メートルくらいの長さの生地を染めていましたが、今では1色あたり500メートルくらいの小ロット生産がほとんどです。工賃はアップチャージしますが、1色あたり200メートルでの染色という注文もあります。それくらいに受注が小ロット化しています。下手をすると1色あたり50メートルなんていう超小ロット受注もあります。

児島で最後に残った反染め織物染色工場として

昔、児島には染色工場が5社ありました。しかし、2000年以降廃業が続き、堀江染工だけが残りました。意外と知られていないのですが、ここ堀江染工が児島に残った最後の反染め染色工場になってしまいました。

2023年春に山陽染工児島ファクトリーさんが閉鎖になり、その一部の設備と人員を受け入れることになりました。技術を継承することで、また新たな染色加工技術の開発の一助になることを期待しています。

大量生産の注文は低価であることがほとんどで、その注文を獲得したところで過度な価格競争に巻き込まれることは目に見えています。また最近は燃料代・電気代が値上がりしているのでコスト削減はさらに難しい状況です。堀江染工としては要望の多くなっている小ロットの注文に対応し、技術力を高めて生き残るしかありません。

ありがたいことに創業者である先々代や先代が設備投資をこれまでしてきてくれたおかげで様々な染色機や加工機がありますが、それを活かしながら、独自性のある染色加工ができないかと工夫を凝らす毎日です。

硫化染料による染色は、古くからこの産地で行われていましたが、反応染料より手間がかかり、難しいということなどで徐染められるところが減ってきてしまいました。あちこち探されてうちに声がかかることもあります。また、国内では希少なパラフィン加工機もあります。一時期はバッグ向けの生地への加工依頼が多かったのですが、最近はブームが落ち着いたのか時々注文がある程度になっています。こういった昔からある染色や加工も取り入れた商品開発でも、若い世代の柔軟な発想を活かしていけたらと思います。

新卒募集に来るのは女子学生がほとんど

ピーク時には150人ぐらいの従業員・工員がいましたが、現在では事務担当と工場の現場を合わせて16人の従業員数となりました。染色工場の現場というのは、夏は高温高湿度、決して快適とはいえない環境です。先代までは「男の職場」でしたが、なぜか最近、堀江染工には若い女性の工場スタッフが増えています。
16人中11人が女性スタッフで、20代女性スタッフがそのうち5人もいます。「物作りに携わりたい」と考える若い女性が増えているのか、ファッション好きな若い女性からの求人応募があります。倉敷市や児島周辺からだけでなく、大阪や香川など近県から移住してきてくれている女性スタッフもいます。

今後、堀江染工が大手ブランドからの大量生産を受注して再度巨大化することは考えられませんから、小ロット対応工場として職人型の染色加工場を目指したいと考えています。幸い、ファッション好きな若い女性スタッフも増えてきましたから、新しい感性を反映した染色加工法の提案を積極的に打ち出したいと思っています。

単なる下請けではなく、提案型・職人型で若いスタッフがやりがいを感じられるような楽しい工場を目指したいですね。そのためにも、倉敷染の東京での展示会に若いスタッフを派遣して、お客様と直接話す機会をつくっています。小さなことかもしれませんが、そんな経験が新しい開発につながると信じています。