倉敷染をつくる人たち

豊和株式会社

倉敷市児島はジーンズの産地として知られています。日本のジーンズが世界に認められるきっかけとなったジーンズの洗い加工技術は、ここ児島が発祥だそうです。世界で最初にストーンウォッシュの技術を確立して以来新しい技術に挑戦し続けている、豊和株式会社の田代社長にお話を伺いました。

豊和株式会社
代表取締役社長
田代 雄久
岡山県倉敷市出身

世界で最初にジーンズの洗い加工を開発

豊和は1965年に縫製業として創業しましたが、その後ジーンズ洗い加工業へと転身しました。新品のジーンズを「洗って色を落として柔らかくする」という発想は実は日本で生まれたもので、本場のアメリカには当時存在しなかったのです。

日本にジーンズが普及したのは終戦後のことです。1950年代にまず、アメリカから中古のジーンズが輸入されるようになりました。新品のジーンズが輸入されるようになったのはその後のことになります。ご存知のように新品のジーンズは濃紺で硬いですが、中古のジーンズは色あせて柔らかくなっています。日本人が最初に親しんだのが中古ジーンズだったので、新品の硬いジーンズに違和感を覚えて、ジーンズを洗って柔らかくすることを思いついたのだと思います。

ジーンズを洗って色を落とすことで、濃紺一色しかなかったジーンズというアイテムにブルーの濃淡によるカラー展開が生まれました。1978年にストーンウォッシュを世界で初めて開発しました。そこから様々な洗い加工の技法が日本で開発され、82年にはスーパーブラック加工を、86年には大ブームとなったケミカルウォッシュなどが開発され、90年代半ばのビンテージジーンズブームのころには、穿き古したシワの部分を再現したヒゲ加工も完成しました。

豊和は大手ジーンズナショナルブランドとタッグを組むことで、国内最大手の洗い加工場に成長することができましたが、2005年以降、新たな道を探ることになりました。

人手不足時代の到来の前に機械化を推し進める

90年代半ばから、低価格ジーンズは製造・加工が海外へ移転し始めました。そして2005年以降は大手ジーンズメーカーの苦戦の始まりによって、国内で製造・加工を従来通りに継続することは難しくなってきました。

小ロット生産なら少人数で対応できますが、豊和の受注規模では少人数では対応しきれません。また社員も求人募集では集まりにくくなってきました。今後は職人的技術の後継者がたくさん確保できる状況ではありません。

そこで機械化・自動化を進める必要があると考え、レーザー光線加工機を導入しました。2007年にはレーザー光線を照射して生地の表面を焼く加工方法で特許を取得しました。
それまで洗い加工というと職人の手仕事というイメージが強かったのですが、コンピューターで制御するレーザー加工機を導入することで、一定の時間練習すれば誰でも同じ加工ができるようになりました。また手作業よりも作業時間が短くなり、生産効率がアップしました。一番のメリットは、加工の仕上がりのバラつきを防げるようになったことです。

そこで今度は2022年にAI(人工知能)搭載のシェービングロボットも導入しました。これは専門メーカーに発注した独自企画のロボットです。加工作業の中でも時間的、肉体的な負担の大きい作業を機械化することで、就業時間の短縮化や年間休日を増やすといった働き方の改革や品質の安定性を実現することができます。ロボットの導入や開発はこれからも進めて、ある程度の大ロットにも対応できる体制をより確実なものにしていくつもりです。

サプライチェーンの構築を目指して

洗い加工という工程だけでは他の工程の状況に左右される要因が多いので、縫製工場を作って縫製から洗い加工までの一貫生産体制の構築をしたいと考えていました。ちょうど2021年に、大手ジーンズメーカーが秋田の自社工場を閉鎖することになりました。秋田は生産性の高い工場が集まって日本のジーンズ生産を支えてきた大切な地域です。そこで、すぐに秋田へ飛び話し合いや調整を重ねて豊和がその工場を引き継ぐことが出来ました。

2022年にオオダテソーイングファクトリーと名前を変えて、豊和グループとして新たに活動を開始しました。まだいろいろと体制を構築しているところですが、これによって、縫製から洗い加工までの一貫生産体制を組むことが可能になりました。

オオダテソーイングファクトリーは今後、国内のブランドだけでなく、海外ブランドの縫製も受注することを目指しています。